家庭的な先生と友人達に囲まれて    ●聖学院大学人文学部欧米文化学科3年マガンガ・ジョハン・ケビンさん(ガボン共和国出身) 

諦めなければチャンスは来る!      ●宋 宇さん(聖学院大学政治経済学部政治経済学科 2009年3月卒 中国出身

 

 

家庭的な先生と友人達に囲まれ

夢は日本とアフリカを繋ぐ仕事に就くこと

●聖学院大学人文学部欧米文化学科3年マガンガ・ジョハン・ケビンさん(ガボン共和国出身) 

 日本という国には、女子サッカーの「なでしこジャパン」 に象徴されるように、真面目でひたむきなイメージがあります。私も昔から日本人の「侍精神」に憧れていました。 来日前にはカナダへの留学経験がありましたが、たまたま日本語学校にいた父の友人から日本留学の話があり、 更に多くのことを学びたいと志し来日しました。

 日本語学校にいる頃、卒業後の進学先として先生から「 キリスト教系で国際的な雰囲気の学校」として聖学院大学を勧められ、オープンキャンパスに足を運びました。実際に大学に来てみると、 様々な国籍の留学生達が学んでおり、また私の母国語であるフランス語を話せる先生もいました。 この先生は入学のメリットや大学の魅力だけでなく、留学生として私が直面している困難な事情を踏まえた上で、 聖学院大学に入学したら何が学べ、目指す将来の進路にどうプラスになるのか、親身になって相談に乗ってくださいました。 最初に大学を訪れたその日に、留学生の立場をきちんと理解しアドバイスしてくれる先生に出会えたことで、私の心は決まりました。

 大学に入学したら、経済関係の勉強もしてみたいと思っていましたが、 国際社会で一番大切なものは人と人との関係だという信念に基づき国際関係や英語の知識が高められる人文学部欧米文化学科を専攻に しました。聖学院大学ではある学科に属していても、他学部のカリキュラムも自由に受講できると聞いていたので、 選択に迷いはなかったです。

 実際に入学してみると、先生方は担任の先生だけでなく他学部の先生も、 私のような一留学生に対し、家族に接するような雰囲気で声を掛けてくださり、困ったときは何でも相談に乗ってもらえるので、 大変助かっています。また大学では、スピーチコンテストや留学生が自国を紹介するイベント、バーベキュー・パーティーなど、 日頃から様々なイベントが催されていて、こうした機会に日本人の学生たちと知り合い、自然と親しくなれることも嬉しいです。 私はアフリカの出身なので、漢字の読み書きには多少のハンディがありますが、 日本人の友人達は、授業中に私が理解できない漢字があると、横でサポートしてくれたり、大変心強い存在です。入学前の一時期は、 規模の大きな総合大学に憧れていた時期もありましたが、もし学生数の多い大学に入学していたなら、 ここまでアットホームな環境は得られなかったでしょう。

 今は学外でも、大好きなバスケットボールで共に汗を流すなど、 日本人との交流に日々打ち込んでいます。

 これからは日本語のレベルをもっと高め、卒業したら日本とガボン、 そして日本とアフリカを繋ぐ貿易や投資の仕事に就くことが目標です。最近、 留学生が日本国内で仕事を見つけるのは年々難しくなってきていますが、日本には高度な先進技術と経済先進国としての蓄積があるので、 日本でしっかりと努力すれば、世界どこへ行っても活躍できる力が身に付くはずだと私は信じています。

 聖学院大学には、 日本でも世界でも通用する普遍的なものが学べる学習環境が揃っていますし、 履歴書の書き方や面接対策といった就職のためのノウハウも授業を通じて修得できます。この恵まれた環境を活かしながら、 勉学のモチベーションを更に高めていきたいと思います。

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諦めなければチャンスは来る!

 ●宋 宇さん(聖学院大学政治経済学部政治経済学科 2009年3月卒)


  私は聖学院大学を卒業後に、横浜国立大学大学院国際社会科学研究科(修士課程)に進み、財政を中心とした経済学分野の研究を深めていくことになりました。聖学院大学の先生方を始め、多くの皆様のサポートを得て、志望の大学院に合格することができたわけですが、この新たなスタート地点に立つまでの過程で、実に多くの試練と挫折を乗り越えてきたものだと、あらためて感慨深い思いにとらわれています。

■多くの試練を乗り越えて

 思い起こせば、最初に私を訪れた試練は中国での大学受験でした。当初、アナウンサーを夢見て北京の大学を受験したのですが不合格となり、一転、日本への留学を思い立ったのです。この際、若い内に外の世界を知り、幅広い知識を身につけておきたいという気持ちが強かったですし、先に日本へ行った知り合いを通じて、日本留学の話を聞き、魅力を感じていたこともありました。しかし我が家では早くに父親を亡くしていたので、家族は当初、私の留学に反対しました。それでも、私がいったん「こう」と決めたら決して引き下がらない性格であることを知っていた母が最終的には留学を認めてくれ、私は母が出してくれた初年度分の学費と生活費を手に、海を渡ったのでした。

 来日して日本語学校に入ると、今度は日本語というハードルが私を待ちかまえていました。当初は自分の日本語に全く自信がもてず、弱気になったことも一度や二度ではなかったですが、外国語をマスターするときに大切なのは、なんと言っても自分の「気持ち」なのだということに気付いてから、私の中で何かが吹っ切れた気がしました。どんなに間違おうが、下手な日本語だろうが、何も恥じることも恐れることもないのです。自分からどんどん話し、日本語に慣れていけばいいのです。そういう積極的な気持ちが、私に目に見えない言葉の壁を乗り越えさせ、その後のチャレンジ精神に火を付ける原動力となったように思います。

■法律へのチャレンジ

 こうして私は、日本での大学受験を迎えたわけですが、結果はまたしても理想とは反対の方に出て、念願の志望校には合格できませんでした。他に合格した大学もあったのですが、結局、自分が納得できる入学にこだわったため、辞退しました。その前後から私は、日本の法律に興味を持ち始めていて、真剣に日本の学校で勉強してみたいと思うようになり、結局、都内にある法律系の専門学校に進学することになりました。この学校では、普通の授業を受けること自体が、私のような外国人にとっては大きな挑戦でした。ただでさえ難しい専門用語が頻繁に出てくる法律学の授業に、外国人向けの特別な配慮などは一切なく、全ては日本人学生と同じ流れで進められるからです。外国人は私一人で、最初の内はまさに孤軍奮闘という感じでしたが、じきに先生方も私の努力を認めて下さるようになり、日本人の友達も出来て、私の自信を確かなものへと変えていったのでした。

■人生の転機?聖学院との出会い

 紆余曲折を経て 2 年後、私に再び大学受験のチャンスが巡ってきました。学部 3 年次への編入学試験を受ける機会に恵まれたのです。編入という特殊な事情から、大学で引き続き法律を勉強し続けることは叶いませんでしたが、この時、私には聖学院大学という、将来へのもう一つの扉が開いたのでした。聖学院大学には法学部はなく、私が受験することに決めたのは政治経済学部でした。

 これまでの人生の過程では、何度挫折に見舞われようとも、何かにこだわって生き続けてきたのが、私という人間でした。しかしこのこだわりの理由とは何だったのか、そしてこれから自分がこだわってやるべきことは何なのかを、聖学院を受験する前にもう一度自分なりにじっくりと考えてみたのです。その結果、政治経済という分野がかつての自分の得意分野であり、これまで学んできた法律知識も日本語力も、大いに活かすことのできる魅力的なフィールドであるということを確認できたのでした。

■「ランキングが高い大学」で見出した可能性

 もともと聖学院大学という学校については、先に入学した友人からその評判を聞かされていました。一般的に「ランキングが高い大学」という言い方をする場合に、それが単に在籍している学生の偏差値を平均しているに過ぎないと言う事実にどれぐらいの人が気付いているでしょうか。実際に大切なのは、教える先生のレベルの高さ、留学生を世話してくださる面倒見のよさ、にほかなりません。聖学院大学はまさにそういった意味で「ランキングが高い大学」であり、学術・研究レベルが一流と言われる優秀な先生方が、ワンツーワン指導( one to one )で、学生の悩み事に何でも対応し、問題解決に当たってくださる「面倒見の良い大学」です。私自身、聖学院大学では財政学のゼミに入りましたが、最初は全てが手探り状態でした。そんな中から、どういった専門を武器に将来生きていくのかを見つけ出すことができたのも、自分にぴったりのフィールドで潜在能力を発揮できるようになったのも、講義やゼミが毎日楽しくて仕方がない、聖学院大学の学習環境があったからです。

 幸い、志望していた国立の大学院に合格できたので、聖学院で学んだことを活かしてこれから博士過程まで進み、その道のエキスパートとなれるよう、財政学という分野を究めていきたいと考えています。将来的には日本の財政学から得た専門知識を、何らかの形で母国の発展に活かしていけたら最高ですね。

 私の人生においては、これまで何をやるにも挫折がつきものでした。しかし挫折を繰り返したからこそ、どんどん強くなり、常に将来を考え抜きながら前進を続けることができたのです。私の経験が実証しているように、日本という国には「諦めなければいつでもチャンスがあるのだ」ということを、後輩留学生の皆さんにもぜひ覚えておいてほしいと思います。

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